国産バネ工業株式会社

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国産バネ80年のあゆみ

1980

昭和55年

■1980年代は電子レンジマグネトロンチョークコイル自動化ライン生産により、電子レンジ用電子コイルで全国シェア100%確保し、海外家電メーカーへも輸出を開始。
コンデンサー溶接ライン・チョークコイル自動化ライン

1981

昭和56年

■神奈川県川崎市高津区久地113番地に東京出張所を開設。 株式会社東芝、堀川町工場様、日立茂原工場様への拡販を図る。

 

1982

昭和57年

■資本金7,200万円に増資。
大阪市淀川区三津屋中3丁目3番7号に総工費20億円投入しプレス事業部を建設、操業。
新鋭大型プレス機16台導入で業界や新聞でも話題になる。
プレス事業部 第二工場 新築披露式典
その間、自動車用シートベルトや自動車部品の大量生産で日に4トン車が2~3回往復し、昼夜関係なく二部生産体制にて対応。
家電製品においては、ビデオデッキの外装カバーのパネルトップの生産を大型プレス機4台とロボットマシンにより生産し、業界で注目を集める。
NHKの今話題の中小企業の新技術という特集番組から取材を受けテレビで紹介。
VTRパネルトップ及びシャシー

1984

昭和59年

■資本金9,800万円に増資。

 

1986

昭和61年

■ 静岡県浜松市に浜松支店開設、東京出張所を統合。
矢崎総業株式会社様に密着した拡販推進を図る。

1987

昭和62年

■滋賀県彦根市宮田町21番地に彦根工場建設、操業。総工費20億円。 生産ラインワンウェイ計画に適した、敷地面積9,985.29㎡の工場。 一年前からの、大阪本社工場(バネ事業部・プレス事業部)・広島工場を統合した集中生産工場(夢工場)の建設移転計画でした。
自動車用部品・家電製品パネルトップも大型商品で生産即出荷という在庫を作り置く余裕も無い状態で操業しながらの移転計画で、整地・機械設備の基礎固め等と1ヶ月の突貫工事となる。お客様には決してご迷惑を掛けられないという思いから大阪生産部は日々の納入分と移転の期間の納入分の作りこみで1ヶ月間は寝る間もなく移転に向け一心不乱に生産。
8月の大型連休の7日間で完了するという神業で移転計画を成功させる。
彦根工場

当時の取組み(技術開発と製品について)

昭和57年当時、ビデオデッキのパネルトップは初期から数年間、普通鋼板をプレス形成後に塗装をしていましたが量が増えると共に品質、コストにおいて問題を生じていました。塗装鋼板を使えば後塗装の必要性は無いと考え、鋼板メーカーで試作材料の提供を受け、取引メーカーへ提出するが「屋根、壁に使っているカラー鋼板」と同じにするなと厳しく叱られ、なかなか採用が決まりませんでした。当時、ビデオは1台15万円~20万円するほどの高級品であり、特に外観品質は厳しいものがありました。
その後、鋼板メーカーの工場へ何度も出向き、品質改善を試み、試作試作の繰返しでした。約1年後すべてのテストを終えサンプル提出し合格に取付けました。その後、殆んどの電気機器の外装パネルはカラー鋼板を採用するようになりました。